2013年11月8日金曜日

老害


昨日と似たエントリをもいっちょ。
普段ならこんなことはしないが、ホリエモンの新刊を読んだ影響ということで…

若い頃、飲んだ席で年上の人に
「そうじゃないんだよ」
とか
「わかってないな」
と言われる度に不愉快だった。当時の僕はその相手に対して、歳こそ取っていても、それ以外にこの人が僕より優っていると思えることが無かったからだ。まぁ…若気の至りね。
とはいえ、今になっても否定されたことに対して
「そうだった」
と思うことは無いし、やはり、自分の考えで間違っていなかったと思うことが多い。

思うに、他人の意見に対して否定から入るっていうのは、そういうことで相手より自分のほうが優位に立ちたいとかそういう気持ちの表れなのかもしれない。不遜ながら、相手より若いのにその人と同じかそれ以上の事が出来てしまっていたのが問題だったのだと思う。歳を取れば取るほど、自分より若い人が自分より優れていると認めるのは中々難しいものだ。

自分より若い相手に対して、やたら否定的な意見を言うのは、「こんな若造に!」みたいな気持ちの裏返しなのかもしれない。僕が一番なりたくないタイプの大人だな。

僕は「年齢」しか武器がないおっさんになるのが死ぬ程嫌だ。「年齢」だけで自分より若い人に対して偉そうな態度を取る年寄り。確かにそういう人はいる。僕の中で「老害」という言葉が指すのはそういう人だ。
そもそも、年齢に見合った年のとり方をした大人なら、逆に自分より若い人に道を譲るくらいの器量があって然るべきだろう。尤もそれだけ器量のある大人に対しては若者も譲ってもらった道を率先して進まずに、その人がその道を通った後を慕ってついてくるんだろうけどさ。

歳を取っても、若者に対して張り合おうという気合は素晴らしい。でも、それはあくまでも対等に接してこそだ。大体、何かで他人と張り合うときに、年齢や経験を引き合いに出す必要はない。本当にそれが価値を持っているならば、それは自分のイニシアチブ。口に出すまでもない優位性。もし口に出すなら
「僕のほうが経験があるから有利で申し訳ない」
といった内容になるだろう。

もし、僕が才能ある若い人を僻むなら、先に上げたような言葉を選ばない。
「俺は、自分より若くて才能のある奴が嫌いだ。」
と言う。そしてそれは既に実行している。
ま、これもダメな大人なんだけど。

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